目次
概要
大原扁理 さん著書 隠居生活10年目 不安は9割捨てました について紹介します。
(約1年ぶりのブログ更新です)
テーマは誰しもが抱える漠然とした「不安」 についてです。
要約
はじめに

23歳で上京し余裕のないアルバイト生活に嫌気がさした著者はコストカットのために郊外の激安アパートに移りました。
その後、不要不急の労働や消費、人間関係や夢や目標、こうしなければいけないという思い込みを捨てることによって不安もなくなり、その結果毎日がハッピーになったとのことです。
現在は台湾に移住し、大学進学も就職もせず社会の常識から外れているが
自分の実感に従って人生を作っていくことは楽しいと…

それでは不安について深掘りしていきましょう🙂
不安が「自分を生きること」を邪魔する
ほとんどの人は「隠居したい」と思っても実際にはやらない。
何故なら何かしらの不安があるから
人の真似なんかして自分の生きたいように生きるのが一番良い、
それが「自分を生きる」ということ。
世界は不安でいっぱいだった
「不安だから」という理由で何かをやったりやらなかったりという経験は誰にでもある。
しかし「不安」と言ってもかなりぼんやりしていて正体がわからない。
不安の定義とは..
辞書を引くと 「安心できないこと。気がかりなさま。心配、不安心」
とあり、ぼんやりとしていて抽象的すぎる。
- 楽しいことを優先していたら親や先生に怒られるんじゃないか
- 人と違うことをしていたらクラスや社会で仲間外れにされるんじゃないか
- 人よりも能力が劣っているから将来人並みほどに稼げなくて、生きていけないのではないか
その結果..
- 楽しいこと、好きなことをするのに罪悪感を覚える
やりたくないことを多少無理しても頑張ってやる - 本心では違うんじゃないか? と思っていても自身の感情を黙殺、周りに合わせてしまう
- せっかく見つけた仕事なのだから、どんなに辛くても逃げてはいけない
上記の通り、先回りして言動を制限してしまい疑問を持つことすらやめてしまう。
鬱屈とした気分になる時は、その後味の悪さを注意深くだぐり寄せていくと必ずどこかで「不安」を筆頭としたネガティブな想念に突き動かされている。
不安の始まり
人は成長するにつれて外の世界との架け橋を作って自分の領域を広げていく。
不安は外の世界と関わるようになってから本格的に始まった。
子供の頃(外の世界との繋がりがない期間)は不安を感じていなかった。
現在の不安と私
不安は実現した。
- 働かなさすぎて世間から恐れられる
- 自分から率先して仲間外れになっている
- 人生で一度も年齢別平均年収を超えたことがない
不安は解決するどころか全て的中したが毎日ハッピーで満足して生きている。
では不安の正体って一体何なのでしょう?
著者が現在に至るまで「不安」にどんな風に向き合い取り除き付き合っているのか。
- いかにして私は不安になっていったのか
- 不安な世界から離れてみたらどうなったか
- 自分の世界をカスタマイズし始める
この順番で自分の不安を最小化するまでのプロセスを振り返る - もう一度世界と関わる
不安を再消化させてから外の世界との関わりがどう変わっていったか - 結局不安って何だったのか (まとめ)
1. こうして私は不安になった

親と不安
大多数の人が親を筆頭に第三者の期待に応えようとするが、そうする必要はないと感じた。
「よりより人生か」というのは、誰しも自分が生きてきた時代や社会常識で判断しているから。
親は子より少なくとも20~30年は古い価値観で判断しているし、
親のアドバイスが古すぎて全く役に立たないどころか邪魔になることもある。
親以外だと学校や職場(社会)にも人は影響を受けている。
不安なのは誰のせい?
自分という人間が親や他人や社会の期待通りにできない時「自分はダメなんだな」と洗脳されていく。
そしてだんだん自分がやりたいことや、思ったことに先に蓋をしていくようになる。
不安に支配されて人生がうまくいかない時は深く考えず自分のせいにしないこと。
2. 不安な世界から離れてみる

不安な世界へようこそ
東京23区の家賃7万の家に住み、家賃を払うためだけに働いている状態に陥った。
何のために生きてるかわからなくなり、上手くいってる人に嫉妬し失敗している/困ってる人に対してざまあみろと思うようになっていった。
それでもこの悪い環境から抜け出すことができたのは違和感に対して敏感でありしつこい性格だったから。
→ 普通に生活したいだけなのにこんなに苦しいのはおかしいという違和感
不安な世界から逃げ分かったこと
東京郊外エリアのコストの低さを知り、家賃を28,000円まで落とした。
不安でいっぱいだと思考の幅が狭まり発想がネガティブになる。
そんな時は冷静な判断力が鈍っているため、大事な事を決めないほうがいい。
不安で仕方がないならとりあえずそこから離れてみるといい。
(職場や住んでる場所などの環境を)
私生活での人間関係を切り捨て、節約生活に精を出したことで家賃が安くなった事とも相まり
生活費が激減し、ストレスフルなバイトからも解放された。
その結果何も困ることはなかった。
社会が求める「普通」の水準がえらい高かったんだなと実感し、そこに合わせて自分をダメ人間と思う必要は全然なかったのだ。
その時は何も分からなくていい
逃げる時のポイントは、他人に理解してもらおうとしないこと。
他人に分かってもらうのを待っていたら時間がかかる。
逃げた後に自分がどういう風に行きていくのかも考えなくていい。
不安な時は正常な判断力が欠けているので、とにかく不安を軽減するのが最優先。
逃げたことで「引き返せないぞ」という覚悟、責任感が芽生えた。
人生の決断を他人任せにしている人は、やがて結果に責任を感じることをやめてしまう。
(他人や環境のせいにしてしまうから)
人生の舵を自分で握った時、本当に自分の人生が始まったと実感した。
不安な世界から離れるために
なぜ不安(不快)を感じるのか、どこから来ているのか、これからの人生どうしたいのかを考えるのは逃げた後で大丈夫。
まずは初めの一歩として不快な感じ、ズレている感じに敏感(気付けるよう)になるといい。
いきなり仕事を辞めたり、田舎に引っ越すとかは難しいので…
- スマホ/携帯をオフにする
- スマホは日常生活のあらゆる隙間に食い込んでくる(移動中、食事中、etc…)
- スマホがない世界はとても静か、余計な情報に振り回せない
- スマホをオフにすることで頭の中のメモリが空き開放感が生まれる
- 「無いと生きていけないと思っていたものが無くても意外と大丈夫」と分かるときの自由な気分を体験して欲しい
- 行きたくない誘いを断る
- 行きたくない飲み会や合コンを断る
- 断りづらい時は体調が悪いなど嘘を捏造する
- なぜ行きたくないことを正直に言えなかったのか考えるのも良い
(人間関係、損得勘定、etc…)
- 温泉に行く
- 日常的にスマホをオフにしたり誘いを断るのが難しい場合はスマホが持ち込めない、誘われた場所にいかないという方法もある
- 時間とお金をかけて温泉まで出かける理由は前述したスマホオフ効果と同じ
- 放っておくとどんどん詰まってしまう人生の空白を意図的(強制的)に作る
- 普段の生活圏から離れることで自分の生活を客観的な視点で見れる
- 離れてみると悩んでいたことが意外と大したことではないと思える
- 他人事は自分と関係ないから落ち着いた見れる、その視点を自分に対して持てる
- 瞑想してゼロになる
- 端折って言うと意識的な体の動きを止めてひたすらじっとしているだけ
- 瞑想中、頭の中はいろいろ考えてしまうがそれを考えた端から流していく
- 今日の夜何食べようかな → 今そう考えたなと流す
- 一回自分がゼロになる感じを実感できるかが瞑想できているかどうかの基準
- ポイントは何か得るものがあるか、ではなく虚心坦懐(1)に「ただやる」こと
- 有能な社長がどんなに忙しくても定時にジムでのトレーニングを欠かさないのに似ている
- 「ゼロになる時間」を大事にしている
(1) 虚心坦懐 = 先入観を持たず、広く平らな心。また、そうした心で物事に臨む態度

スマホオフに関連して、私も半年前にSNS(Twitter)の利用を封印した事で気持ちに余裕が生まれ余計な情報に振り回される事が無くなりました。
感情のスクリーニング
自分が何か言動を起こす時に何はともあれ一度立ち止まってみる。
その言動がどういう感情から起ころうとしているのか落ち着いて精査する。
特にネガティブな感情に突き動かされてはいないかを。
不安・恐怖・強迫観念・焦燥感・劣等感・罪悪感・嫉妬・憎しみ・虚栄心・所有欲・支配欲・承認欲求・etc..
心は隙あらばネガティブな感情に突き動かされた言動を美化・正当化するために正義や大義名分、自己犠牲の精神をかぶせ、自分に言い訳をしてしまう。
3. 自分の世界をカスタマイズする

「自分を生きる」ために
「自分を生きる」と主張する時に、そもそも自分が何なのか、どうしたいのか分からないと言う人が圧倒的に多い。
「自分は何が好きか」と考えるのが一番簡単に思いつくとっかかり。
しかしここまでまた「自分って何が好きなんだろう..」と分からなくなってしまう。
目指すべきは「自分の好きなようにに生きる」であって「自分の好きなことをして生きていく」とは微妙に違う。(youtuberみたい)
好きなことで生きていく(経済的生産性も兼ね備えた)がクローズアップされがちなだけで、「好きなことは特にない」という人でも「〜はしないで生きていく!」という意思があれば自分がないわけではない。
「世間で当たり前だから」ではなく「自分の実感」というフィルターを働かせて選んだものって実はとても少ない。
それを一つずつ自分の世界に増やしていくことが重要である。
驕りでも謙遜でもなく、ただ「私はそれは違うと思うので」と言って当たり前とされている生き方や考え方拒否することも大切だ。
あきらめさせる圧力は無くならない
「自分を生きることを諦めさせようとする圧力」は大人になってもなくならない。
子供の頃は「親」や「クラスメイト、先生」
大人になると「会社」や「社会」がこの役割を引き継ぐ。
外から来るものはどうにもならないので、
自分が変えられる、コントロールできるのは自分だけである。
自分の世界をぐんぐん小さくして
郊外の激安アパートに引っ越したのはそれまで手にしてきたモノを一度全部捨てるという作業だった。
それは形あるものだけではなく、人間関係やそうしないと生きていけないという思い込みも含めた有形無形の全てに関して。
捨てることができたのは自分で選んだものだけではなく、背負わされていた常識も含まれる。
東京で一人暮らしをするには毎月17万は必要
→ 実際は7万円ほどあれば十分という事実 といったような
関わっている世界が大きければ大きいほど報告やフォロー、各種手続きが膨らむ。
必要最低限で生きれば引っ越そうが仕事をやめようが各方面に影響が少ない。
そのため自分の世界をカスタマイズする時、まずはできるだけ世界を小さくしておくと楽である。
なるべくニュートラルでいる
「私はこうだから人生がうまくいかない」というネガティブな思い込みがある時、その思い込みが実現するような事態に遭遇すると脳内に快楽物質が分泌される。
ネガティブなことだけではなくポジティブな思い込みもそうで、
ポジティブすぎて盲目的になってる人はネガティブすぎる人と何も変わらない。
人生がうまくいくと信じることもうまくいかないと信じることも結局その思い込みが補強されていく時の快感に依存しているように見えるのだ。
なのでできればニュートラルに自分を、他人を、この世界を観察したい。
どちらかに傾きすぎると認識が歪んでしまう気がする、だから物事に対していちいち反応しない。
個人的なこととしてとらえない
物事に対していちいち反応しないようにしている理由は世界をニュートラルに観察していたいという欲求の他になんといってもその方が楽だから。
自分の人生で起こることを全て個人的なこととして捉えると、その都度一喜一憂しなくてはならなくてしんどい。
人生で起こることの全ての出来事は自分の起因するという因果応報をふーんで済ませていると、起こることがベストとか最悪とかそのような感情がなくなっていく。
すると「どうしてもこうなってほしい! 」という欲や執着も消えていく。
すると自分もなくなっていき、何者であるかもどうでも良くなってくる。
欲がないので欲しいもの、行きたいところ、会いたい人もなりたい自分もなくなる。

ここまでくると完全に悟りの境地までいってる感じがしますね。
「そんな人生は虚しい、なんの意味もない」という意見に対して著者は「何も無いがある」と主張しています。
4. もう一度世界と関わってみる
同じ世界が違って見える
お金のためではなく「楽しそう」「面白そう」「それなら得意」という基準で仕事をひきるけるようになった。
得意というのは人よりも簡単にできるということ。
著者に関しては延々とピアノを弾いたり2~3日引きこもってライティングしたり
不安に対しての意識が変わってから世界がイメチェンしたように見えた。
広い世界に出ている方が偉いとか、小さい世界に閉じこもってるからダメということはないのだ。
再び世界と関わり始めて思うこと
しばらく社会から離れた後たまに戻ってくると、外の世界で自分がいかに「思ってないこと」を言ったりやったりしていたのか敏感に気付くようになった。
- 赤ちゃんをかわいいと思えないのにかわいいと言ったり
- 面白くもないのに周りに合わせて笑ったり
思ってないことを言動に移してしまうと何がダメか、自分の言動や行動がみるみる力を失っていく。
普段から周りに流されている人に説得力はないのだ。
自分の言動に力を与えるために「いいね」と思ってないのに「いいね」しないことだ。
不安をなるべく増やさないで生きる
不安というのは自分の心身の状態と関係がある。
この不安は対処するべき/放っておけばよいの的確な判断ができるのは大抵心と体が良い状態の時。
心と体を良い状態に保っておくことで、少なくとも不安に振り回されることは減らせる。
- 合わない場所から出る
- 合わない場所にいると確実に少しずつ弱っていく
- 場所との相性もあり人それぞれ合う合わないがある
- ちゃんとご飯も食べてるのに毎日が不調で無力感ばかり募る時は環境が合ってない可能性がある
- 一箇所にしか身をおかないと比較ができないので、他の街に移ったり職場を変えたりしてみる
- 合わない食べ物を避ける
- 人それぞれ合わない食材、調理法、食べ方がある
- 食べるとストレスがかかって疲れが蓄積する
- 著者は玄米菜食を自炊するに落ち着いた
- これが体にもお財布にも優しく、負担も少ないから
- ファーストフードや嗜好品を食べると疲れる
- 揚げ物や電子レンジで温めたものではなく、煮る、蒸すで調理したものがいい
- 食べ疲れない食生活を心がけていると年単位で変化が訪れる
- イライラすることが減った
- 欲望が減退する
- 人それぞれ合う合わないがあるので、それを食べたら心身にどんな変化があるのか、お腹やお肌の調子は、心の状態は、よく眠れているかなどを自分で確認する
5. 結局、不安ってなんだったのか

不安には共通点がある
改めて、著者が感じていた不安について
- 楽しいことを優先していたら親や先生に怒られるんじゃないか
- 人と違うことをしていたらクラスや社会で仲間外れにされるんじゃないか
- 人よりも能力が劣っているから将来人並みほどに稼げなくて、生きていけないのではないか
不安を感じた時点ではまだそれは起こっていない。
なのに想像だけが膨らみ勝手に悪い方に想像して不安になっている。
まだ起こってないなら創造するなら良い方にすれば良いのにと思う。
人は実際に失敗した(好ましくない結果になった)時の嫌な気持ちは強烈なため、
それが失敗のパターンとして記憶にこびりついてしまう。
逆にもう終わってる過去のことに対して不安になることはないだろう。
何故なら終わってることはもう想像の余地が残ってないから。
不安は死なないために必要
起こっていない未来のことに対して不安になるのは何故か?
「未来のことはわからないから」
人間わからないことがあるというのは不安、時にはそれを通り越して恐怖を感じる。
- 楽しいことを優先していたら怒られる→嫌われる→見捨てられる→見捨てられたら子供は生きていけない
- 人と違うことをしていたら仲間外れにされる→仲間外れにされたら学校に通えなくなる→通えないと学校を卒業できず働き口が見つからない→見つからないとお金が稼げない→稼げないと生きていけない
- 能力が劣っているから将来人並みに稼げなくて生きていけない
どんな不安も突き詰めれば生きていけない=死 に繋がっている。
不安とは第一義的には生存のためにプリインストールされている機能であり、
生存本能に訴えかけられて不安になることで人は生き残るためにどうしたら良いか考える。
不安を感じることが生きるためのモチベーションになるってことはネガティブなことではない。
具体的な行動の起こし方
やりたくないことを無理して頑張ったり、本心では思ってなくても感情を黙殺し周囲に合わせるのは一時的かつ場当たり的な行動で、その場はやり過ごせても時間が経つとまた同じ不安がやってくる。
繰り返しになるが、疲れていると正常な判断をするのが難しくなる。
まず、何よりも心身を健康に。
草むしりに例えると、草なんてちょっと生えても大丈夫なように土を元気にする。
不安と向き合うためのスタート地点に立つのは心を体を正常な状態に戻してから。
他人や社会の不安を取り込まない
不安の由来には2種類ある事が分かった。
- 自分由来の不安
- 他人や社会由来の不安
1の自分由来の不安に関しては生存本能としてシンプルに備わっているもので、
「ご飯を食べないと生きていけない」、「自然災害に対する強い不安」など。
自分由来の不安は自分を生かしてくれる不安であり、あって当然のもの。
一方で、不安が強すぎて心身を壊してしまう場合もある。
それは他人や社会から無意識かつ後天的に植え付けられた不安である。(2に該当)
2の不安については無視するべきだと著者は主張している。
著者が抱える不安について、不安を無視して行動してみたら全て嘘だった。
「やりたくないことを頑張ってやらなくても」「本心を黙殺して周りに合わせなくても」
実際は生きていけるし、その方がストレスも少なかった。
2の不安については生存に関して全然役に立っていなかったのだ。
では誰の生存のために役に立っていたのか?
著者の想像ではその人自身ではなく、周りの誰かの不安だったのかと思う。
他人がなんとかするべき不安まで自分が抱え込んでしまうから、ストレスがかかって心や体を壊す。
自己肯定感を高めるのがしんどい
不安とうまく付き合っていくためには
- 心身を健康に保つ
- 他人や社会の不安を取り込まない
そして意識的な面では自己肯定感を高めるのが良いが、
これはキラキラの自己啓発ポジティブワードっぽくて苦手だった。
そのため逆の発想で自己否定感を下げることを意識した。
自分の言動の中で自己否定感に突き動かされているものを注意深く選別し、
見つけ出したらそれを言動に移さずに無視する、そして自己否定感を無視しても死なないことを確認。
これを繰り返す。
1つや2つの経験で「自分はダメである」と結論づけないこと、
10個ぐらいは試したり経験してからじゃないと向き不向きは分からない。
結局、不安って何だったのか
- 人間はまだ起こっていない事柄に対して不安になる
- 何故なら未来はどうなるのか分からないから
- 分からないという事が不安を引き起こす
- 全ての不安は突き詰めると「死」につながる
- つまり不安は生存本能として身についている機能である
- そして不安が的中しても意外と死ぬことはない(なんとかなる)
そして私たちが不安に立ち向かうためにできることは以下の通りである
- 心身を健康に整える
- 他人や社会の不安を自分のものにしない
- 自己否定感を下げていく
誰にでも人生の天気みたいなものがあって一度も荒れない人はいない。
不安な状態というのは天気が崩れて現状認識能力がおかしくなっている。
天気が回復してくるとだんだん大丈夫になって、振り返ると大したことなかったじゃんとなる。
本書では不安とうまく付き合えすようになった後にどうすれば良いのかは書いていない。
大切なことは人は不安をなくすために生きてるわけではなく、
不安が人生を邪魔するものでなくなったら、その時自分がどう生きていきたいのか。
どう生きていきたいのか、と問われると話が大きすぎてピンとこないでしょう。
選択肢があったとき人は自分が「好きな方」や「得意な方」を選んでいくためそれをヒントにしていく。
ガンジーはかつて「見たいと思う世界の変化にあなた自身がなりなさい」と言った。
fin.
書評/感想
ここまで読んで頂いた方はお疲れ様でした。
私自身この本を手にとった理由としては、「自由に生きること」や「倹約/節約」に関して関心がありその延長で「不安」を捨て自由に生きている著者に惹かれ読んでみた。という背景がありました。
さて、テーマにある「不安」ですが人それぞれ千差万別何かしらの不安を抱えていると思います。
本書でも紹介されていましたが、想像していた不安が実現する事って実際はかなり稀で
仮に的中してもなんとかなる事が多いと思います。(実体験を踏まえて)
一方で、失敗した(好ましくない結果になった)時の嫌な気持ちは強烈なため、
それが失敗のパターンとして記憶に残ってしまい過度に失敗を恐れ不安になる。
これもあるなと。
その結果、自分がやりたいように(自由に)振る舞ったり本来やりたい事をできずにいる人がどんだけいることか…
また、本書では不安から逃げるために環境を変えろと主張していました。
人は環境に大きく影響されるためそれを変える事って逃げと攻めを兼ねている気がしていて、ずっと同じところに居続けるより色んな環境に身をおき様々な文化を経験した方が良いと思っています。
今風の言葉だと多様性というやつですね。
個人的には本書を読んで新しい発見はありませんでしたが改めて自分自身を振り返る良い機会になりました。
瞑想やってみようかな…
以上です。
詳細を読んでみたいと思った方は是非原本を手に取ってみてください。
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